BRAND HISTORY
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THE STORY OF KRUG
1848
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1848
ヨーゼフ・クリュッグ、自身のビジョンを書き記す
クリュッグの創業者ヨーゼフ・クリュッグは、
自分の描いたヴィジョンと確固たる哲学のすべてを1848年に手帳に書き残しました。
このビジョンと哲学は、今日に至るまでクリュッグに受け継がれています。
THE STORY OF KRUG
1866
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1866
2代目当主ポール・クリュッグ1世
父ヨーゼフの死後、息子のポール・クリュッグ1世がメゾン・クリュッグを引き継ぎます。
年を追うごとに事業が拡大していくなか、
メゾンは創業者ヨーゼフが生前に購入したコクベール通り沿いの庭付きの屋敷へと移転。
以来メゾン クリュッグの拠点となっています。
THE STORY OF KRUG
1903
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1903
王室御用達の栄誉に輝く
1840年半ばから1860年半ばにかけシャンパーニュの輸出量は倍増し、
クリュッグの売り上げも伸びましたが、ポール・クリュッグは、
販売量よりも品質で知られるメゾンとしての地位を確立させることに努めました。
こうした努力が実り、1903年クリュッグは初めて英国王室御用達のシャンパーニュメゾンとして
認定を受けました。以後 各国の王室御用達の認定を受けています。
THE STORY OF KRUG
1971
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1971
メニル・シュール・オジェ村の畑を購入
創業者ヨーゼフがその名を口にしていたメニル・シュール・オジェ村は、
ランスから35キロ離れたところにあるシャンパーニュで名高い村のひとつであり、
素晴らしいシャルドネの名産地として知られています。
1971年、アンリ、レミ クリュッグ兄弟のもとに
メニルの15エーカー(6ヘクタール)ほどの畑が売りに出されたというニュースが届きます。
2人は畑を見るまでもなく、電話でのやりとりだけで購入を決めました。
THE STORY OF KRUG
1972
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1972
卓越したシャンパーニュにふさわしいボトル
1972年アンリ、レミ クリュッグ兄弟は、
それまで使われてきたボトルがその中身の素晴らしさに適していないのではないかと感じていました。
卓越したシャンパーニュには卓越した形状が必要だと考え、
新たにクリュッグのスタイルを体現したボトルデザインを考案します。
同年クリュッグ プライベート・キュヴェはクリュッグ グランド・キュヴェとして生まれ変わりました。
THE STORY OF KRUG
1976
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1976
ピノ・ノワールとの出会い
1976年シャンパーニュ地方のアイ村でつくられた品質の高いピノ・ノワールに関心した
アンリ、レミ クリュッグ兄弟はそのピノ・ノワールを使った実験を行います。
彼らはクリュッグ家の型にはまらないパイオニア精神を受け継ぎ、その精神を最大限に発揮します。
クリュッグ グランド・キュヴェと同じように、ヴィンテージの概念を超えた創造的な姿勢でロゼに臨み、
新たなシャンパーニュのアイディアに生命を吹き込んでいきました。
それまでのロゼとは全く異なる手法で新しいシャンパーニュ造りに取り組み、
クリュッグ ロゼを生み出したのです。こうして1976年のピノ・ノワールは収穫されました。
THE STORY OF KRUG
1986
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1986
クリュッグ クロ・デュ・メニルの登場
クリュッグ クロ・デュ・メニルが生まれたのは、
この石垣で囲まれた畑のブドウからつくられるワインの風味が非常に豊かであり、
この畑のワインだけで優れたシャンパーニュを生み出す力を持っていたためです。
「二人はこのシャンパーニュと恋に落ちたのです」と、
アンリの息子であるオリヴィエは語ります。
アンリとレミのサヴォアフェールによって磨き上げられた
クリュッグ クロ・デュ・メニルには、個々のワインへの細やかな気配り、
労を惜しまずじっくりと行われた分析、そしてバランスへの配慮、テイスティングを行い
ブレンドするプロセスなど、クリュッグならではの細部へのこだわりに加え、
最終的な製造の過程で発揮されるクリュッグ家独特の直感が反映されています。
THE STORY OF KRUG
2009
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2009
オリヴィエ・クリュッグがメゾン ディレクターに就任
2009年、すでにテイスティングコミッティーのメンバーだった
6代目当主であるオリヴィエ・クリュッグがメゾンのディレクターに就任しました。
彼もまた、クリュッグの精神の伝道者としての役割も担うことになったのです。
彼は至高のシャンパーニュを生み出してきたクリュッグ6代目当主ですが、
彼の原動力となっているのは、祖先が代々そうであったように、
彼自身のシャンパーニュに注ぐ情熱に他なりません。