BRAND HISTORY

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THE STORY OF RUINART
1700

1700

ドン・ルイナールのヴィジョン

勤勉で謙虚なベネディクト派修道会の高僧であったティエリー・ルイナールは、
当時「泡立つワイン」として知られていたシャンパーニュの輝かしい将来性を見抜いていました。
そして彼の信念は甥であるニコラ・ルイナールへと引き継がれました。

THE STORY OF RUINART
1729 Episode I

1729

ニコラ・ルイナール

初めての「泡立つワイン」は、繊維商を営んでいたニコラの
顧客にギフトとして配られました。
洗練されたビジネスマンであったニコラは、叔父の画期的な展望と
「泡立つワイン」への熱い思いを受け継ぎました。
彼はわずか6年で成功を収めました。

THE STORY OF RUINART
1729 Episode II

1729

世界で初めてのシャンパーニュメゾン

「神と聖母の名において、この書物をひらき賜え」
1729年9月1日、父と同じく繊維商であったニコラ・ルイナールは
このように手記に最後の一文をしたためます。
こうして世界で初めてのシャンパーニュメゾンとしてルイナールは正式に登録されました。
洗練されたビジネスマンであったニコラは、叔父の画期的な展望と
「泡立つワイン」への熱い思いを受け継ぎ、わずか6年で成功を収めました。

THE STORY OF RUINART
1735

1735

シャンパーニュ事業への専念

1735年、ニコラは、急成長を遂げたシャンパーニュ事業に
専念するため繊維商から退き、シャンパーニュの生産に情熱を注ぎました。
生産量は1730年の170本から1731年には3,000本、
1763年には36,000本と飛躍的に成長しました。

THE STORY OF RUINART
1768

1768

古代の白亜質の石切り場跡
「クレイエル」

1768年、ルイナールは、ランスの地下38メートルほどにはり巡らされた
ガリアローマ時代の白亜質の石切り場跡をシャンパーニュを熟成させる
セラーとして使用するために取得しました。

THE STORY OF RUINART
1896

1896

初めてのアートコラボレーション

1896年アール・ヌーヴォーを代表するチェコ人のアーティスト
アルフォンス・ミュシャにポスターの製作を依頼します。
ミュシャにとって初めての広告となったこの作品は、一躍脚光を浴びることになりました。
こうしてルイナールとアートの美しい関係は始まりました。

THE STORY OF RUINART
1931

1931

クレイエルが歴史的建造物に

白亜質の土壌と、その深さによりセラー内は一定の温度と適度な湿度が保たれ、
シャンパーニュの緩やかな熟成に理想的な環境となっているクレイエルは1931年、
フランスの歴史的建造物として指定されました。

THE STORY OF RUINART
2000

2000

アーティストとのコラボレーションプロジェクト

2000年以降は、世界中のアーティストとのコラボレーションプロジェクトを始動。
才能豊かなアーティストたちの独創的で創造的なヴィションを通して、
ルイナールは自らの伝統、歴史、サヴォアフェールを発信している。
また年間30以上ものアートフェアに協賛し、
アートシーンを支え、盛り上げ続けています。